旅人の宿 三輪舎

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カナディアンロッキー

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佐久の史跡等

2014年10月23日 (木)

佐久の神々⑨

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 忘れた頃にやってくるこのシリーズ、忘れた頃だが忘れてはいない。 佐久から小諸へと抜ける県道沿いに、潰れたガソリンスタンド後を使って営業していた中古車屋があった。 しかしその中古車屋もお亡くなりになり、その後初めて前を通りかかった。

 今まで売り物の車に隠れて気が付かなかったが、敷地内にわざわざ後から組んだと思われる石に守られた神様の碑が鎮座ましましているではないか!

 確かに一般民家の敷地内にも社や石仏、道祖神がフツーにあるのが佐久だが、ガソリンスタンドとして営業していた時代には邪魔だったろうに・・・

 それでも移動するのが嫌だったのか怖かったのか? このままどんな店になろうが利用をされようがきっといつまでもここにこうしているのだろうなぁ・・・  だからこそ「神様」なのだろうが。

 しかし商売の神様ではなかったようだ。

2012年11月30日 (金)

佐久の神々 ⑧

 

 こんなシリーズまだやっていたのか? と言うくらい久々な「佐久の神々」。 いや忘れていたわけではない。 逆にあまりにも身近に有り過ぎて何を書いたものやら悩んでいる間に前回から一年もの間隔が・・・

 今日、フト思いついて三輪舎の庭先にある用水路の取水口は果たしてどこなのか?、と探しに出かけたのだが、その途中にこんな神様を発見。

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 三輪舎から「パラダ」の前を通り過ぎ、道なりに行った左側に多少開けた広場があり、その神様が祀られていた。

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 近くによると、手前の灯篭に「寛政八年」と刻まれている。 寛政八年というと18世紀の末期、世は徳川家斉の治世であったろうか。 そんな頃からこんな寒村にキチンと道が通り、また拝んでいく人々が住む集落が有ったのだろう。

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 御本尊は「不動明王」。 この近辺には意外に不動明王が刻まれているものが多いが、これは浅間山の影響なのだろうか?

 この道はかつてここでも書いたことがあるが、非常に古くからあった道らしく興味深い史跡が数多い。 またゆっくり通ってみたい。何しろ近いのだから・・・

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 車を停めた場所の後ろにはこんな看板もあった。

 他に説明も何も無かったので、アサギマダラが例年ここを通るのか?はたまた個人的な思い入れで応援しているだけなのか? まぁ定かではない。

そして帰ろうとおもったら・・・

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 おぉっ!!こんな道路脇にもお社がぁ!

っと思ったら「滑り止め用砂袋」の保管場所だったとサ。 チャンチャン!!









2010年11月 2日 (火)

日本に二つ!

 北海道に行く人のほぼ100%の人は函館の五稜郭を知っているだろうが、信州に来る人の一体何割が佐久にも五稜郭があるのをご存知だろうか?

 ただ、佐久の五稜郭は小さい。それはもう笑っちゃう位に小さくてカワユイ。 武士の五人もいたら問題なく落せそうなくらいで、お堀も物干し竿で渡れそう。

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 堀が曲がっているのを見ると「星型なんだなぁ・・・」となんとなく分かるが、近くに高台が無いので全体像は見渡せない。

 幕末の日本で一番最後に築城され、完成直後に廃藩置県で廃城となり一度もその機能を発揮することが無かった龍岡城・五稜郭。 

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 城郭は厨を残して壊されてしまったが、一部を除いて現存するその石垣はその中に小学校を抱えて子供たちを守っています。

2010年10月29日 (金)

佐久の神々⑦ 路傍の神

 いつも買い物や所要で通る道にも神様がいるもので、いままで紹介してきた神々はどちらかというとキチンと・若しくは「ここにいらっしゃるのだ!」と祭るほうも祭られるほうも自覚がある神様であった。

 しかしそこにあるのが「当然」だったり、大抵車でしか通らないので存在そのものに気が付かない・気が付かれない神様も多々いる。 今回はそんな中から二基を紹介したいと思う。

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 三輪舎では良く通うラーメン屋サン「亜里沙」から西側へ抜けていく道がある。 基本的に畑の中の一本道なので、歩く人などまず見ない。  そんな道の途中に二体寄り添うように立っている。  多分道祖神ではなかろうか。

 この道は今年に入って拡幅されているから、以前は道からやや離れたところに佇んでいたものかと思う。  すでにここに建ってから長いらしく、磨耗が激しい。 気が付く人も少ないらしく、周りの草も伸び放題。 しかし佇む雰囲気は優しく、「ワシ等はここでゆるゆると、また只の石に還っていくのじゃ! それでいいのじゃ!」そんな気配さえある。

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 こちらは岩村田の街中近く、県道沿いの道際に何気なく建っているお社。 既に屋根は傾き倒れないのが不思議なほど。  民家と民家の間に挟まれて、放置されているかと思えばそうでもなく、祭られている・・・って程ではないがかといって放置されているわけでもない。

 前出の道祖神から比べれば人々には、少なくとも住んでいらっしゃる方には認識されているらしい。 まだまだやる気充分な雰囲気がある。

 佐久は人が滅多に通らない畑の中にも、街中にもいろんな神様がいらっしゃる。 その気になればまだまだ眼を楽しませてくれそう!  佐久にきたらそんな眼で道を通るのも楽しいのでは? 但し事故らないように!!

2010年9月30日 (木)

佐久の神々⑥

 よく買物に使う御代田の西友、そこへ行く途中に前々から気になっていたお地蔵さんが居た。  道祖神にしろ、他のお地蔵さんにしろ、この辺では青天井系の濡れっぱなしがほとんどなのだが、ココに限ってはきちんと東屋がかかっている

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 そして本体のお地蔵さんには上下に布がグルグル巻かれている。 そしてお約束どおりに色んな神様が前を飾っている。

Dscn0866 その一つの道祖神。 これはまだ新しく、明治年間の製作品。

 その為か細かい所も鮮明に残っている。

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 背後に炎を背負っている所を見ると、これは多分不動明王様。

 右下にウッスラと「宝暦」の年号が読み取れる。 しかもまだ彩色の後も残っているのが判る。

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 これは上の不動明王より更に古そうな像。 お地蔵さんにも見えるが、チト違いそうだが、文字も磨り減っているので読み取れなかった。

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 結局何で布がグルグルなのかは当然不明のままだけど、キット単純に「寒そうだから・・・」ってことなんだろうなぁ。

 もう一つ判らなかったのは、上の写真を良く見るとお地蔵さんの後ろに何か棒が写っているのが判るだろうか?  コレは「鍬」!そして更に「鋤」と都合二本が立てかけてあるのだ。  まさか農作業の途中で石にされた・・・訳ではないだろうから。

 これまた不思議なお地蔵さんでした!!

2010年9月28日 (火)

佐久の神々⑤ 三体道祖神

 先日から何度か探しに出掛け、結局分からずじまいだった佐久市内には一体しか確認されていない「三体」彫られた道祖神。 最後には商工会に問い合わせたところ、ようやくその場所が判った!

 近くまで行っていたのだが、我々が敬遠していた細い路地の奥にそれは居た。

Dscn0864 このような馬頭観音がある、それこそ軽トラしか入れないような集落の細い路地を入っていく。

今回は近くに車を停めて、徒歩で入ってみた。 

Dscn0863  路地を入って30メーター程の右側に、多少高くなった塚がある。

 手前側は畑で、その気が無いと覗きに行こうと言う気も起こらないだろうなぁ。

 写真の左に立っている電柱の脇から上に上がれるようになっていた。

Dscn0856

       これがその道祖神。 家族三人仲良く立って居るように見える。Dscn0857

  近寄ってみると、真ん中の子供の表情が残っていてこれが又愛らしいこと! 一応ここも「諏訪神社」の社地(・・・っていうのかなぁ?)と言うことだが、やはり地形からしてその昔は古墳だったのかも知れない。

 Dscn0859

そしてお約束どおり背後には幾つかの小さな、そして古いお社が並んでいる。

 長野県としてみてもやはり珍しい「三体」の道祖神、まぁこれを探してまで見に来るなんて人も少ないだろう。  しかし有名になって観光客がゾロゾロやってくるよりは、今のほうが道祖神達にとっては幸せな状況なのかもしれないなぁ。

 三輪舎のお客さんには是非お勧めしたいとは思うが・・・

 

2010年9月 1日 (水)

佐久の神々④

 気がついて見ると佐久には「道祖神」・「馬頭観音」の類がナント多いことか! それこそその気になって歩いてみると其処此処にいらっしゃる。

 特に「道祖神」は大概刻まれているのは一人、もしくは夫婦で二人という場合が多いのではないだろうか。 調べている内に佐久には夫婦に併せて子供も彫られた三体の物があるという。 佐久市内では僅かに一体。 暇という訳では無かったが、気分転換に見に行って見た。

Dscn0655_2   

 その途中、多分近くであろうという場所にあった道祖神。 多分夫婦を彫ってあるのだろうがこれは良くあるカタチ。 これを離れてみるとこんな感じ。

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 前に在る石碑には残念ながら何と言う文字が彫ってあるのかは定かではない。

 しかもこの近くにあるべき「三体」の道祖神は、場所が違うのか何らかの事情で撤去されてしまったのかどう探しても見つからない。

 予め調べてきた場所に違いないとは思うのだが・・・残念!!

 ちなみにこのスグ近くにも、もう一体道祖神が・・・

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 集落の出口・入り口には必ず。そして更にもう一体位はあるんじゃなかろうか?

 近いうちにキチンと「三体」の道祖神を探してみたいと思う。 願わくば撤去されていない事を。

2010年8月 6日 (金)

佐久の神々 ③

 前々から気にはなっていたのだ。 諏訪神社から道祖神の前を抜け、平根橋から県道と交わる交差点の所にそれはある。

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 「うなざわ」と読むこの一里塚、当然神社仏閣の類ではないが、長年通る人々に触られ、または拝む人もいただろう。 雑巾でさえ100年を経ると妖怪になると言われるのだから更なる年月を経ている塚、当然神格化しているのでは?

 しかし、この看板の周辺のどこを探しても一里塚らしき物は見当たらない。 ちなみに看板の周囲は下の通り。

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 看板だけがかつてこの場所に一里塚があったことを示している。 しかし消滅したのはそんなに昔ではないのかも。  看板のすぐ近くには測量するときの水準点が設置されている。  

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 冬になり、まわりの草が枯れたら実はひっそりと一里塚が佇んでいるかもしれない。

2010年7月19日 (月)

佐久の神々・・・番外編

 「佐久の神々①」で横根の道祖神を紹介したが、どうもヤッチマッタらしい。 何を「ヤッチマッタ」のかまぁ聞いてくれ。

 この三連休で来舎してくれた名張のS木サン、散歩がてらにその道祖神まで行き報告してくれた。

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 階段の上にある碑の内、一番右はよく見ると「南無阿弥陀仏」と刻んである。 左の物は「馬頭観音」で、中央は頭の飾りの感じからやはり「仏教系」の物。 道祖神では無いであろう・・・という事。  そして肝心の道祖神はと言えば・・・

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 階段を上る手前、左の方にチョコンと座っていた。 多分マヌケなワタシを見ながら笑っていたことダロウ。 この道祖神は他でも良く見る二体が刻まれた物だが、調べてみると佐久市内には三体が刻まれた珍しい物が三基あるらしい。

 とにかく持つべき物は物知りのお客さん!という事らしい。 ちゃんちゃん!!

2010年7月12日 (月)

佐久の神々 ②

今回は三輪舎の近所と言うより、玄関からスグに見える神様の紹介。 まぁ聞いてくれ。

横根に土地を探しに来た頃から気が付いていたのだが、近所の人に聞いても「山の神様」としか分からずにいた。  ところがひょんなコトからここら一帯が実は「横根古墳群」の真っ只中・しかもその神様が第17号墳墓という事が判明。

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三輪舎の前の舗装路を50m程東側に行った道沿いにこの鳥居が建っている。

特に参道が付いている訳でも無く、奥にこんもりと塚が築いてあり、大きな桜と杉の木が繁っている。

道路から一瞥しただけではおよそ古墳には見えない。

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中に入っていくと杉の間から石の階段が付いており、予備知識があれば「もしや古墳では・?」と気付くかもしれない。

お社がちょこんと乗っているのが、古墳として機能していたときは石室の天井板だったものと思われる。

多分この階段も石室に使われていた石を利用した物だろう。

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一体いつ造られた物か分からない程に苔むしてはいるが、未だにナニモノカが宿っている気がする。

横根古墳群の内、このようにキチンとお祭りされているのは知る限りではここだけである。

他は石室が剥き出しになり、あるものは農機具入れ、あるものは堆肥置き場だったりする。

考えようによってはここは幸福な部類かもしれない。  ちなみに資料によると最大規模のものは第18号墳墓ということらしい。